「ファクトフルネス」読み終わりました。最後の方は、泣きながら読みました…。そんな泣くような内容ではないと我ながら思うんだけど。以下ネタバレも含みますので、自分で読みたい!という方はご注意を。長文になってしまったのでお時間ある時にお読み頂ければ幸いです。
インドってこんな国だったのにという違和感
「ファクトフルネス」を読んで、なんだか今までインドとタイに住んでずーっと感じていたある違和感が、綺麗に説明されていたように感じました。
「ある違和感」とは何か?それは、日本のバラエティ番組やニュースで紹介されているインドやタイと、実際のインドとタイの乖離についての違和感です。
これを読んでくださってるみなさんは、住んでる場所は色々だと思いますが、海外に行ったり住んだことがある人は、おそらくみんなほぼ同じ違和感を感じたことがあるのじゃないかなぁ。
私はインドやタイに行く前に、それぞれインドもタイも段階の差はあれ「発展途上国」だと思っていました。西洋諸国と日本はほぼ同じレベルで、それ以外の国は発展途上国だと、なんとなくぼんやり思っていた。
インドは確かに基本的なファシリティーがまだ不安定ではあった。水、電気、道路などの発展に欠かせない基礎的要素が整備されきってなかった。
でも想像以上に発展の速度が速く、私が住んでいた2年半の間に、物価は上昇し、電子マネーは拡大し、道路や駅は完成して、人々の動線は変化していた。
そして国全体の貧しいイメージとは裏腹に、富豪が多く、購買力がある。
道には日本では見たことのないスーパーカーが走っていたし、 巨大モールには壮々たるブランドが軒を連ねていた。もちろん貧困層もたくさんいるけど、中間層の人々あたりの豊かになろうというエネルギーは凄まじいものがあった。彼らが喉から手が出るほど欲しいのはもう車ではなく、iPhoneなのだった。その壮々たるブランドの中に、日本のブランドはほとんどない。もし当たれば一攫千金なのになと、主婦の私でも思ったほどである。
かつてお世話になったメイドのサンちゃんは、今Facebookで繋がっているのだが、時々海外旅行をしているのが伝わってくる。それだけの豊かさがメイドさんにもあるということだろう。
タイもこんな国だったのにという違和感
タイになると、発展はもっと進んでいる。
土木工事を請け負ったり、店で料理を運んで来るような仕事は、タイ人でなく、カンボジアやミャンマーなどの周辺諸国の人々が中心である。タイ人はオーナーだったり、管理をしていることが多い。プライドも高く、タイ人を人前で叱ったりしてはいけないと言われている。
ハイセンスなレストランやカフェも多く、モールのつくりもオシャレ。
私がいる2年半の間にオープンした巨大モールだけでも、アイコンサイアム、ミックスチャトチャ、ザ・モール、ドンキモール…どれも素晴らしく大きく、どこに行っても出来立てでピカピカ。
日本に帰ってきた当初、日本のスーパーや大型モールが、古くくたびれて感じられたほどである。
また、ドバイ(アラブ首長国連邦)に行って、中東が西洋よりも遅れているとはとても思えなかったことも思い出した。
もちろん、私が見たリアルは一部だけで、それぞれ貧しい人もたくさんいると思う。
でも、人々の生活は、日本でのイメージよりも随分発展して、水準が高くなっている。そのことに残念ながら日本はあまり気がついていない。
シンガポールなんてもはや日本よりも発展していると思うし、逆にアメリカが日本よりも発展しているのかというと、そうとも言い切れない。
それなのに、「西洋諸国」と「それ以外」という見方で世界を把握しようとしてしまう。
これがファクトフルネスでいう、「分断本能」なんだなぁと腑に落ちた。
世界は二種類には分けられないという考え方、差別とのつながり
世界は「先進国」と「発展途上国」の2種類には、もはや分かれてない。
そんな風に世界を簡単に二つの対立するものに分けることはできない。
世界はもっと多様で多層で複雑で、思っている以上に多くの国が「中間層」に移動している。つまり貧困層はかなり減っている。
そして、もうひとつ。
世界は宗教や文化で分断されるよりももっと強く、「収入の額」で分断されていて、どんな国でも貧しい人は同じ生活をすることになるし、どんな国でも豊かになれば同じものを欲しいと思う。
つまり、どんな国に住もうと、どんな宗教を信じていようと、「豊かな生活」を求めているのはみんな全く同じだということ。今現在、アメリカでは黒人差別の問題が大きく取り上げられている。そのこととも繋がっていった。
私はアメリカに住んだことはないし、身近に黒人の友達もいない。でもひとつ思う事がある。
黒人を差別すること、あるいはその問題について知ろうとしないことと、例えば身近なものを非難することは根は同じである。どちらも、いい、悪いを二つに分けて、差別、非難することで問題を終わりにして、「考える」ことをストップさせているのだ。身近に黒人の友達がいないから、黒人差別したことない、っていう考え方はすごく危険である。ぶっちゃけそんな風に考える人ほど、知らず知らずのうちに差別的発言をしているものなのである。知らないとそういう事態につながるのである。知っててもうっかりやってしまうのである。それくらい差別は自然に、悪意なく、息を吸うようにできてしまえるものなのだと思ったほうがいい。
差別を少しでもなくすためには
黒人問題で辛く悲しい思いをしているのは黒人だけではい。デモには多くの白人が参加しているし、差別をなくしたいと多くの人が思っている。
私は黒人でも白人でもないけど、差別の心がどうやって生まれるかは知っているつもりだ。
それは「自分だけをよしとして、自分以外を否定する」という態度だ。それは私の中にも息づいている感覚だ。他人を非難してホッとするのではなく、自分の中にあるその要素をじっと見つめて、非難ではなく、コントロールしていく心を育てていくこと、自分以外の人の違いを認めること。
そういう意味では、今アメリカで起こっている大きな波は決して人ごとではないと思う。
知ろうとすること、そして答えがすぐ出ないことについて希望を持って考え続けること。
ファクトフルネスは文字の読めないアフリカの女性でも実行できていた。
私もバトンを渡された気持ちで、この考え方を何度も振り返りながら世界を見つめていきたいと思う。
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