インドとタイ、駐在帯同してみて、本帰国してから思うこと

日本のこと

私は2005年7月から2020年2月まで、インドニューデリーとタイバンコクに2年半ずつほど駐在帯同しました。本帰国して2年半になります。今、どういう体験として自分に残っているのか、面白かったこと、しんどかったこと、今まで言えてなかったことも含めて、振り返ってみたいと思います。

インド 最初に1番ショックを受けたのは

インドに駐在が決まったとなったら、みなさんホームページやブログ、Instagramなどを検索すると思います。私はブログで探しましたが、持ち物などをレクチャーしてくれる情報はその時あまりなかったので、今思えばほぼ丸腰で渡印しました。子ども3人、小学校4年、幼稚園年長、3歳を連れての渡印でした。

買い物する場所などを教えてもらい、子どもがニューデリー日本人学校やプレイスクールに通い始めてからも、最初の3ヶ月は分からないことだらけ。わからないことが多いと不安や恐怖になります。特に子ども連れだと、子どもが危ない目に遭うのではないかという恐れを強く感じていました。実際に、インドでは多くの子どもが失踪していますし、土地勘もない、言葉も話せない我々は、どんなに会社の力で守られ、外国人として尊重されようとも、社会的には弱者だなと思って暮らしていました。

最初の1か月は特にメンタルをやられて、毎週末泣いて過ごしました。1番ショックだったのは、水道の水が衛生的でないとか、ドライバーとどう付き合えばいいのかとか、すぐ停電するとか、そういうライフラインの問題ではなかった。同じように駐在妻として生活している先輩のみんなが、思った以上に華やかで、英語を話せたり、話せなくても堂々としていたり、その姿と自分の姿との落差にやられました。自分だけが無知で無力でボロボロな気がしました。

まあ、実際にお腹をやられていて、5キロ一気に体重が落ちて、ボロボロだったんですけどね。当時の私の心境は「みんなは楽しそうに泳いでいるのに、私だけ静かに溺れかかっている」というものでした。泳げているふりをしてしまい、SOSをどう出したらいいか、分からなかった。これは後から大ハッスルした私の「意外な」一面として後々にまで語り継がれました。(笑)

その後、新しく来る人来る人、同じようにやつれて疲れ果てたのちに、みんな強く美しく立ち直っていました。多かれ少なかれ、最初にインドにボディーブローを食わされるのは、おそらく全員だと思います。

何年経つと「慣れる」のか

私の場合、3ヶ月経つとようやく少しずつ慣れてきて、週末に泣くことがなくなりました。1年経ったときに、風景の中の看板がだいたい何の看板か分かるようになり、「慣れたなぁ」と感じるようになりました。また、この頃から、一時帰国して自宅に戻っても、そこが「仮の住まい」であり、インドの自宅に戻って来たときに「あー、帰ってきたなぁ」と思うようになりました。2年目には、インドの面白さがわかってきて、もっと色々なことがしたいと思うように。結局2年半ほどでタイにスライドしたのですが、もし3年以上いられたら、どうなっていたのかなと思います。想像するに、5年くらいいると、日本に帰ってきてからが辛いだろうなぁ。

駐在妻同士の付き合いのホントのところは

タイでは、逆に何でも日本語の情報があふれていて、知りたいことや困ったことがあってもネットで大体のことは解決できる。だから、人付き合いを強いてしなくても生きていける世界でした。タイでは同じコンドの中で上下関係があるとか、新参者は不文律(文章化してない暗黙のルール)を冒すと総無視されるとか、過激な噂話は聞きましたが、実際に私が見たことはないです。

行く前に、「駐在妻同士は旦那さんのヒエラルキーに比例して、上下関係ができるらしい」と聞いていました。実際には、私はそういうヒエラルキーを感じたことはありませんでした。インドでは、助け合わないと生きていけない感がすごくて、そんなことをしている余裕はない。(笑)長年住んでいる人は、総じて親切で、何でも教えてくれました。自分も苦労したから、助けがどれだけ有り難いか、分かるんだよね。

ただ、もちろん、どこにでも自分と合わない人はいます。誰とでもすごく仲良くするのは難しいものですし、その必要もありません。また、これはインドで特に感じたのですが、「マダムとして毅然と堂々としてなくてはならない」という言い伝え?みたいなものがあり、ドライバーさんやメイドさんに舐められないようにしないとね、という、無言の圧力があるのを感じました。駐在が選ばれ者たちのものだけだった前時代の名残りでしょうか。もう今はそんなことはないのでしょうけどね。私がインドブログを書くことについて、色々おかしな助言みたいなことを言う人もいましたが、多分、無知でマダム然としてない私が嫌だったのかもなと思います。嫌なのは仕方ないですよね。

でも、振り返ってみれば、インド時代もタイ時代も、青春時代の部活のように、楽しかった思い出しかないです。

日本に帰ってからも、ここで経験したことは、消えることなく、私の核となり続けるだろうなと思います。子育てなどの制限がなくなったら、またインドやタイ、あるいは日本ではない国に、暮らしてみたいなぁと、今も思っています。

駐在帯同を悩んでいる人がもしおられたら、これは宝くじに当たったようなものだと思って行きましょう!とお伝えしたいです。諸々の事情はもちろんあると思いますので、私個人の本音のつぶやきとして読んでいただければ幸いです!

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