順応していくということ。インド帯同一年を経て感じたこと

インド国内旅行

先日、一年ぶりくらい久しぶりに、ズンバのレッスンに行った。1年前はその1時間のレッスンが終わると立っていられないくらい疲れて、夕方まで響いた。そのレッスン場所がどこにあるのかもわからず、ただただ、友だちに連れて行ってもらって帰ってきたのだった。

一年ぶりに同じ場所に行き、同じ先生のレッスンを受けた。
やっぱりすごーいハードだったけど、前ほどは疲れなかった。
あ、やっぱりあの時は、自分は大丈夫なつもりだったけど、かなり弱ってたんだな。
そして帰り道の風景を何となく眺めながら、

あのお店、家具屋さんだ。なかなか魅力的だなあ。
あ、このお店、前に入ったことあるスイーツ屋さん。どこにでもあるなあ。
おっ!この学校はこないだ日本人学校に交流に来てた学校じゃない?!ここにあったのかー!
おお、ここが石鹸やお香が売ってる学校か!
 
などなど思いながら見るともなく見ていて、
ハッとした。
 
1年前はこの風景を、全然知らないものの集まりで、「なんだか薄汚れて雑然とした街並み」
くらいにしか見えてなかったのだった。
雑草の名前を知らないとただの草むらにしか見えないけど、雑草の名前を覚えると、草の中からそれぞれの雑草がくっきり立ち上がってくる、という話を聞いたことがある。
それと同じだな。
そして、その薄汚れた知らない街の中で、なんとか根付こうと身を捩るようにしていた私の姿が連想された。
いきなり移植されて、土の違いになかなか根付かなかった苗。
でもいつの間にかちゃんと根付いて、新しい葉っぱも出てきている。
 
ああ、待てばいいんだな。自分でもがかなくてもよかったんだ。
時間が解決してくれるんだな。
なんて気がついた。
 
子育てもだけど、何もかも、こうなればいい、って思って、急がないで待っていればいいのか。
こうやって、知ってるお店や場所がが少しずつ増えてきて、インド人とコミュニケーションする機会も増え、パターンも覚え(笑)色々な人がいることを知り…怒ったり笑ったりしながら、
そうやって順応していくのか。
 
まあ、それはもちろん1人では無理で、たくさんの人のたくさんの助けがあってこそ、悩んだり苦しんだりも含めて、なんだけども。
急がないでいいんだなあ、私、すごく急いでたな、と。
しみじみ思った帰り道でした。
順応するのに最低一年かかるよね。

先日象を呼んだ友達の誕生日会で、まったく関係ないのに記念撮影をする自由なインドのひとびと

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