学習支援員になるためには
2020年2月に本帰国して1年、ついに何か仕事をしようと、17年のブランクを経て、学校支援員という仕事に応募してみたのが2021年の3月。ホントはもう少し早めに、1月には動くべきだったみたいです。応募したのはこちらでした。
電話予約して、履歴書を持って行き、その後もう一度ここで面接を受けて、合格してから配属が決まります。面接と言っても気軽なもので、履歴書の内容と、どんな仕事がしたいのかを確認する程度でした。合格しても条件に合う配属先がない場合は、連絡が来ないこともあるそうです。「常勤講師」(教諭と変わらない働き方で、中学なら部活の顧問もする)や、特別支援学級の担任を薦められましたが、自信がないので断った記憶…。多分その辺りの人手が足りてないなと感じました。私が雇用された学習支援員の正式な名称は、「会計年度任用職員」です。
かいけいねんど‐にんようしょくいん 【会計年度任用職員】
一会計年度を超えない期間を任期として採用される一般職の地方公務員。
[補説]地方公務員法・地方自治法の一部改正に伴い、平成31年度(2019)から導入。事務職員・学校講師・保育士・清掃作業員・消費生活相談員などの職種に適用される。【コトバンクより】
この中でも、栃木県の「すまいるプロジェクト」という事業の一環で、小学校1・2年生に限定して、主に国語や算数の授業に入っていき、授業についていけない子どもを見つけたら、個別に教えていく、というものでした。必要な資格は教員免許です。私は中学と高校の免許しか持っていませんでしたが、その場合は校長先生が県に申請を出してくれて、「臨時免許状」(3年が有効期間)で働くことができます。
時給は1500円、週に5日で8:00から15:00まで、うち昼休み1時間休憩なので1日6時間勤務(昼休みは全然休憩じゃなかったけど)、金曜日のみ8:00から14:00(でもつい15:00までいたけど)、週に29時間。有給休暇が10日ありました。夏休みなど働いていないと当然無給になります。
中学校の学習支援員の場合は、宇都宮市役所内の教育委員会で募集がかかります。1月号の「広報うつのみや」や宇都宮市のホームページにも募集要項が載っていました。知りたい方はこちらに問い合わせてみるといいと思います。原則週5日、1日7時間勤務で時給1340円だったかな…。まあ、同じくらいですよね。
実際にやってみて
実際ふたを開けてみると、授業にほとんどついていけない子どもは、発達障害等の診断が出てる子どもを含めて、3〜4人ほど。椅子から常に立ってしまったり、教室から出てしまう子は学年で1〜2人。先生が言われたことを一度で即座に理解して反映できるのも、だいたいクラスに3〜4人。残りの子どもたちは「今すぐにはパーフェクトには理解できないけど、失敗しながら少しずつ理解できていくだろう」という状態のようです。そういう子どもは、少し言えばすぐに理解できる子も多い。思った以上についていけてない子どもが多いことにまず驚きました。でも、1年見てると、成長することでかなり出来ないことが出来るようになっていく子どもが多かったです。
仕事内容としては、先生方の代わりにスタンプを押したり、プリントに丸つけをしたりする仕事が先生方の助けになっているようで、とても感謝されました。夏は水着を着てプールに入って、簡単な指導もしました。(これは学習支援員の仕事ってわけでもなさそうだったけど)あとは給食の配膳も手伝い、子どもたちと一緒に食べました。小学校の先生は1限目から5限目までずっと子どもに張り付きでのお仕事なので、着替えも早く、給食の配膳も食べるのも早く、いつトイレに行ってるのだろう?という過密スケジュール。提出物も連絡帳からひとつひとつチェックしないとだし、毎日誰かがケンカしたり、消しゴムをなくしたり、こけて怪我したり、本当に大変そう。子どもたちには、担任の先生だけが頼りで、まさにお父さんお母さん代わりなのだなと実感しました。
子どもたちはめちゃくちゃ可愛く素直で、1年間、忙しかったけど、本当に楽しかったです。こんなのでお金をもらっていいのかなと思うくらい。多分、以前に教員でフルタイムで働いていたのと比べて、授業を持たない気楽さが楽だったのだと思います。
1年を終えて所感
先日離任式だったのですが、思いがけないほどの送別をしていただきました。私はたった1年の勤務でしたが、7年で異動の先生、4年で異動の先生、様々な立場の先生が合計10名以上いらっしゃいました。皆さんそれぞれの思いを語っておられ、送る側も行く側も、涙涙の離任式。公立の先生方は、毎年こんなにウェットな気持ちを味わうのだなと感じました。
この立派な花束を見て息子ハッチの素朴な疑問「ねえ、ママって、働いたの1年間だけだよね?」
もちろん、子どもたちとの別れも私でさえ辛く、今でも思い出しては「もうあの子たちとは会えないんだな」としょんぼりしてしまうほど。昔も担任してた時は、そういえば毎年春になると結構泣いたりしてたけど、小学校の先生は毎日朝から夕方まで密に接しているし、2年間持ち上がりで担任したりしてる場合もあるから、その別れの辛さたるやいかほどか、慮られます。
また4月から、違う小学校で同じ支援員をやる予定なので、気持ち新たに頑張りたいと思います。
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