「ではどうすればよかったのか」文句や不平だけが自分から出てくるとき

日本で子育て

こんにちは。インドからのタイ駐在を経て北関東に本帰国したほっこりです。
2日もブログを放置してしまった!!大丈夫です。元気です!

小さな庭で、コデマリが咲き始めてます。

モッコウバラの白バージョン。

黄色バージョン。
私たちがいない間にも、毎年こんな風に咲いてくれてたんだなあ。
家を見てくださった方がものすごく手入れしてくれてるからこそなんだよね。有り難すぎる…!!!
ふと見ると

なんと懐かしい、シロツメクサ。
日本は雑草すらも美しいなと感じます。

このゾーン、雑草だらけなんだけど、花も咲いてるし、可愛いし…もうこのままでいいかなぁ。(笑)
嫌な人は嫌だよね。でも久しぶりに見る日本の春は、雑草を雑草と思えない。
子どもたちと散歩していると、
あ、そうか、こういう雑草の名前も、子どもたちに教えないと、この子たち知らないんだった!ってハッと気がつく。
オオイヌノフグリはこれだよーとか、シロツメクサで花冠が作れるんだよとか、伝えるようになりました。

昨日は子どもを連れて、小学校に行ってきました。週一の登校日として決められていた日です。
宇都宮は来週から分散登校が始まることになりました。
クラスを半分ずつ、週2回くらい登校させる。授業や給食はまだ始まらず、出した宿題の答え合わせや復習をするそう。
中学校は再来週から週4で分散登校。
いよいよ、6月に学校、再開しそうだよなぁ。
この3ヶ月近く、様々な不便と不安と付き合ってきたわけなんだけど、
もうそろそろ終わりそうという出口の光が遠くに感じられるようになって来ると、
振り返って、来た道を振り返る余裕が出てくる。
渦中にいたら出来なかったことだ。
子どもの勉強については、うちの場合、途中までほとんど何も宿題がなかった。そして私も家の片付けを優先させて、特に課題を与えることもなく放置していた。
途中から宿題が出始めたけど、親と一緒に考えながら進めてもなかなか難しいような課題も多々あった。
プリントの大きさや向きもバラバラで、綴じてないので風で飛んでいくし、教科書やノートに書き込むという課題もあった。どれが提出でどれが保管なのかもすごくすごく分かりにくい。
日本の公立の学校ってこんなんなんだっけ…慣れてないからそう感じるだけ?
もっと基礎を強化できるような、繰り返しの復習の練習ができる宿題を、この日はこれをする、という流れを考えて一枚ずつめくってやっていくような、そんな形で出してくれてもいいのになぁ。
と、心底思った。
でも…
学校は国が決めたことを県が受けて、
それをさらに市が受けて学校に指示が出て、それに従わないとならないので、相当なタイムラグがある。
そして、今回、次々と予定と違う決定が上から降りてきたから、会議に次ぐ会議だっただろう。「去年と同じ」を重んじる社会では、本当に大変な決定の連続であったと思う。
また現場の教師がどんなにナイスアイデアを持っていても、その学校の校長が賛同してくれなければ、学校全体としてのアイデアとしては採用されにくい。
オンライン授業と一口に言っても、ハード面でもソフト面でも、そんなに簡単なことではないだろう。
そんな中でみんながそれぞれ考えて必死で動いているんだろうと思うから、
私なんかの受ける側が一方的に文句を言うことも憚られるなぁ、と思う。
ツイッターなどではみんな不満や文句をぶつけている。
私も思うところがあるから、すごくよくわかる。
ツイッターなんてまあ、そのためにあるようなもんだからね。
でも、なんていうのか…
「ではどうすればよかったのか、という答えについて、自分は分かっていない」
ということについて、自覚しないといけないんだよなあ。
そしてどう転んでも文句が出るような状況の中で、誰かがいつも決定してくれてるってことは、有り難いことなんだよね。

誰かを責めることで、多分なんとなくスッキリするんだけど、
本当はそんなことでは自分は心底喜んではいないと思う。
ではどうすればよかったのか?
これに「解答」はないと思う。
だから、よりよい道を常に探し続けるしかないんだよねぇ。
なんて思う週末なんでした。

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