通信制高校を卒業してからの娘の進路と近況について

日本のこと

長らく更新が滞っておりました。やはり気持ちが落ち着かないと文章って書けないんだなと、しみじみ感じたこの数ヶ月でした。

インドとタイから本帰国して公立の進学高校に入学した娘が、ミスマッチから少しずつ学校に行きづらくなり、無理を重ねた結果、心を病んで退学した話は以前書いた通りです。

その後自分の選んだ通信制高校に所属しつつ、海外の大学にいくつかオファーを出すための試験を受けたり、書類を作ったり、課外活動と呼ばれるワークを実行したりして暮らしていました。

具体的には、バイトをしたり、友だちに会ったり、旅行をしたり、色々な活動をする一方で、通信制高校の先生や、オンラインの英語の先生、またバレエの先生にも助けていただきながらレポートを作成していました。

それでもトータルすれば、1日の中でほぼ家に1人だけでいるような生活だったので、突然眠くなり寝てしまったり、昼夜逆転まではいかなくても、朝皆が出る時刻には起きられず、一方で皆んなが寝てしまっても起きていて、いつ寝たのかなというような生活のリズムになったりもしていました。私から見れば、1人で孤独に闘っているような印象でした。特に最後の方は、結果を待ち続けることになり、何に向かっていけばいいのか見えず、身の置き所がなかったようです。

その結果ですが、アメリカの大学には受かったのですが、学費が1年間で700万超えと、我々にはとても払える金額ではありませんでした。大学からは奨学金として学費を約半額(360万くらい?)にする申し出があったのですが、それでも4年間となると、やはり払える額ではない…。学費のほかに寮費が年間100万かかるのはまだ良心的だと思えたけど、円安ということもあり、生活費だけでも年間150万から200万かかるだろう、渡航費その他もかかるだろう…と何度も計算したのですが、やはり全然足りないです。

もうひとつくらい奨学金が受かれば行けるかな?と、いくつかトライしてみたのですが、それがなかなか受からなかった、ということで、結局、入学は見送りました。

もしかして、よくご存知の方がおられたら、「この奨学金なら貰いやすいよ」とか「こうすればよかったのにね」などがあるのかもしれませんが、娘が自分の力で精一杯調べて頑張って受けて、その結果がこれであるということは、つまり縁がなかったのだろうと思います。少なくとも、今ではないのだろうと。親としては、お金がないから行かせられない、と言うのは辛いものがありましたが、少し無理すればなんとかなる、というレベルの差額ではなかったので、逆に諦めがつきました。まあ、すべて起こるべくして起こってるのだろうし。

本人は、大学に受かったことで、これまでの頑張りは認められたと思えたそうで、学費に関しても、奨学金ありきの話であることは最初から分かっていたので、諦めがついたとのこと。「納得」というのは、実は何よりも大切だと思います。それが手に入っただけでも、1年頑張った甲斐はあるというものです。

もちろんそうは言いながらも、一度はアメリカ行きをイメージしたと思うので、内心は辛かったと思います。もっとたくさん英語を話したい、スキルを上げたいという欲求も満たしたかっただろうな…

現在は、気持ちを切り替えて、日本の大学を受験することにして、予備校に通う毎日です。日本の大学からも海外に行く道は色々あることに、やっと目を向ける気持ちになってきたようです。とは言え、今まで日本の大学のための受験勉強をほぼ1年やって来なかったので、予備校の先生から見たら、部活ばかりやっていた高3くらいの状態のように見えるらしいです。ちゃんとした模試などはまだ受けてないのですが、英語以外は壊滅的と言ってもいい状況なのではと察せられます。

娘本人は、「毎日朝起きて電車に乗って学校に行き、何時間も座って授業を受けてまた帰ってくる」という毎日をこなすので精一杯な感じ。そのルーティンにやっと慣れてきた様子です。勉強は、出来る限り取り組んで、どこまで理解できるようになるか試していこうという意欲はあるようです。アップダウンはもちろんありますが。

私自身、娘が高校をドロップアウトする前は、子どもは勉強はよりできたほうがよくて、より偏差値の高い大学に受かるほうがよいと、漠然と、無意識に近いところで考えていました。より高く、より広く、より良い場所へと上へ向けて生きていく感覚です。

でも、今はその自分の思い込みに気がついて、「違うな」と思っています。

人生は自分のものだけど、もし誰か、社会や常識も含めて、自分以外のものの意向に完全に沿って生きていってしまうと、自分で舵を切って航海している感覚は持てない。

成功も失敗も、考えて悩んで悩んで、でも自分で選択して初めて、結果ごと「自分のもの」となる。例えば天災とか、転職とか、どんなに自分とは関係なく「他力的に」物事が起こったとしても、それに主体的に取り組むかどうかで、自分の人生の主人公が自分であることを実感できると思う。海外駐在なんてまさにそうで、私は主人の付属部品ではないという「あがき」が、駐在帯同生活の根幹だったんだなと、今では思う。

彼女は、失敗を含めて、自分には必然のものだと考えるのが理想だということは何となく分かっているようです。だから、頑張って取り組んでいるけど、そもそも受験勉強というのは、戦争というだけあり、そんな生優しくもなければ、楽しいものでもない。日々ため息をついたり、自分を鼓舞してハイテンションになったりしながら、それでも毎日進んでいます。

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